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長崎原水禁大会に参加

8月7・8・9日の日程で原水爆禁止世界大会長崎に参加させていただ
きました。カンカン照りの真夏の太陽のもと、数多くの参加者とともに、戦争と平和と核の問題を考える機会をいただきました。
1945年8月9日に2発目の原子爆弾がアメリカによって長崎におとされた。70年後に現地をおとずれて、爆心地に立ち、上空を見上げ、また千人を超える児童が全滅した小学校から爆心地方面を見渡して当時のあたり一面の惨状を想像する、被爆者の方のお話を聞く、資料館の展示を見る、一連のことで感じることができたのは起きたことのごくごく一部だけど、戦争法案のこと、原子力発電所の再稼働のこと、まさに今の問題として考えなければならないことなんだと思います。
手をつなぐ会が食と農の運動・事業として重ねてきた活動も、平和があ
っての生活の豊かさですから、毎年会員の多くからカンパを頂き代表の派遣できてきたことにあらためて感謝いたします。
今回、長崎へは横浜の岩見夫妻、事務局の高野の3名が参加しました。機会があり被爆者の方のお話をうかがいました。
十五歳の少女が勤労動員の工場で被曝し、机をならべた友だちが亡くなり自分が生き残った。ご自身も大きな火傷を負った上で、なぜ生き残ったのか?いまだに負い目のような感情に苦しめられている。言葉を詰まらせながら語っていただけたことが忘れられません。
生身の人間、普通に生活する人の上に21キロトンの原爆を炸裂させた非人間性、その被害は長く長く残ることが、「 わかった」ように思います。
大会では、多くの若者や、外国の代表の方のお話がありました。核兵器
の抑止力で平和を維持するという倒錯した考えをすてて、核の廃絶こそが平和の道なんだと確信いたしました。

写真は、原爆資料館にて。爆心地の溶けたガラス。人の手の骨が溶けこんでいる。この人は何が起きたのか知る間もなかっただろう。

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